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〒758-0074 山口県萩市平古町75
旧明倫館門 明倫館は平安古の総門から、追い回し筋(萩城三の丸内)にあったものです。
5代藩主毛利吉元の代に(1719)に、開校しその敷地は940坪程度だった。その後130年を経た嘉永2年(1849)
に13代藩主毛利敬親によって、萩城下中央に敷地面積15,184坪、建物総坪数11,328坪、錬兵場3,020坪の広大な
新明倫館が完成した。写真右の赤屋根の建物(2階立)が4棟これに直列するように、有備館(武道場)、奥に水練池
(水中水上訓練用)がある。昭和の段階世代には、全校生徒数が3500名余りに達し、日本一のマンモス小学校
となった事がある、4棟の手前側(国道より)が1部本館と呼ばれて、次の棟が2部、3部、4部と呼び、学級編成
が一部は本館の玄関や校長室、など他の施設があったので、教室の数少なかったが、2〜4部は一学年4クラス〜
6学年4クラスがあった。私事ですが、1年と2年は同じクラスだったが、2年ごとにクラス編成が行われ、低学年の
頃は4部から1部に編成替えになった時、新クラスの中に顔見知りが4〜5人しか居らず、転校したような心細い思いが
今でも思い浮かびます。
画面左に運動場があり(現在駐車場)、運動会ではみなさんの想像できない競技進行が行われていました、それは
生徒の数が多いので、普通の進行では1日で完了出来ない為に、グランド中央で低学年が直線の徒競走、外周では
高学年がトラックを使い徒競走、などといったように、常に幾つもの演目が同時進行していました。
画面左奥の大きな体育館は現在、NHK大河ドラマ 花燃ゆのドラマ館として開館しています。