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反射炉は西洋で開発された金属溶解炉である。日本へは欧米列強に対する危機感が高揚
した江戸時代後期、反射炉の知識が蘭書によってもたらされ、幕府や一部の藩が導入に取り
組んだ。それは、旧来の大砲に代わる鉄製の様式大砲を必要としたからである。
嘉永4年(1851)佐賀藩が日本で初めて反射炉を完成させ、薩摩藩・伊豆韮山代官所(幕府天領)
・水戸藩・萩藩(長州藩)が続いた。また民間でも、安心院(大分県)・六尾(鳥取県)・
大多羅(岡山県)などで反射炉が導入された。
そのうち、反射炉の遺構が現存するのは、伊豆韮山と萩の2か所だけであり、我が国の産業技術
史上大変貴重な遺跡とされている。
萩藩においては、ペリー来航後安政年間に反射炉の導入が試みられた。同藩は安政2年(1855)
西洋學所を開設し、翌年造船所を設立して洋式軍艦の丙辰丸を建造するなど、軍備の拡充に努める。
同藩はこれらの軍事力強化一環として、反射炉の導入にもとりくんだのである。