天樹院墓所は毛利輝元の墓所で婦人と殉死者 長井治郎左衛門の三基の墓石がある。
元は、関ケ原の戦後、萩城築城までの仮住まいであったが、輝元はこの四本松邸を隠居所と
した。
死後天樹院(輝元の法号)が菩提寺として建てられたが、明治2年(1869)に廃寺になり、墓所だけが残った。
猫塚
長井元房と言う重臣が、当時この猫の丁に住んで居り元房が輝元の為に殉死した。その元房が可愛がっていた猫が非常に悲しみ、天樹院内の元房の墓所を離れず元房四拾九日の法要の日に愛猫は舌を噛んで死んでいた。その後夜な夜な猫の泣く声が聞こえ、世間に広まり夜などは人通りさえ無くなった。そのため寺僧は愛猫の死を憐れんで寺内に手厚く葬った。
何時の頃からか猫の丁と言うようになったそうです
天樹院外観(猫の丁)